くたばれポジティブの押し売り

くたばれポジティブの押し売り

ここ数年「自己肯定感」という言葉が流行っている気がする。女子高生はぴえんと鳴き、キャリアアップや就職なども含めた今後の人生を考える若者は「自己肯定感」と鳴く。

ぴえんやエモいという言葉を明確に言語化して説明するのが難しいのと同様、「自己肯定感」という言葉も定義が難しい。

自己肯定感を持つことが大事!
自己肯定感を高めていこう!
と強すぎるメッセージ性を放つ書籍も多数発売されているが、
結局「自己肯定感」って何なんですか?

自分のチャームポイント探しをやめろ

自己肯定感という言葉を聞くと、いかにも「自分でじぶんが大好き」「自分のチャームポイントを知り尽くしているセルフストーカー」のような印象をうけるが、個人的には違うと考えている。

もし自己肯定感というものが先に出てきたようなチャームポイント探しであれば、私すぐにでも船に飛び乗ってグランドラインを旅しながら探すハメになるだろう。ひと繋ぎの財宝クラスであれば私のチャームポイントも含まれているかもしれない。

このように自分に自信がない、もしくは私のように極端に卑屈な人間にとって「自己肯定感上げてこっ⤴️」というアドバイスは全くの逆効果になる場合が多い。

「自己肯定感を持っていない自分はなんてダメなんだ。」「自分には良いところがないから自己肯定感を持つなんて無理に決まってる。」とさらに自分をダメだと思いこんだり、「いいじゃないですか、あなたは自己肯定感を持ってるんだから」と闇落ち一歩手前の軍曹のようになってしまう可能性も浮上する。

そもそも自己肯定感という言葉が話をややこしくしてるのだ。まるで自分大好きエブリデイハッピー野郎みたいなイメージを持つがそうではない。
ネットで自己肯定感とは?と検索すると「ありのままの自分を受け入れる」というような内容が大量に出てくる。そんなこと言われても脳裏に松たか子が浮かぶだけで、「だから結局自己肯定感って何!?」

身体測定以外での背比べを廃止せよ

ここからはあくまで持論なので「その意見にはアグリーしかねます」という方がいても全く問題ない。

自己肯定感のことを調べると大体セットになって出てくるのが「他人と比べるのを辞めましょう」の1文だ。当方、バリューセットは大好きだがこのセットはちょっとまった!と言いたい。

他人と比べるな、と簡単に仰いますが世間は比較とマウントの取り合いである。仕事の成果、育児、家、ミネラルウォーターを飲んでいるか?など、日々人はお互いに優劣をつけて生きている。

SNSなど、マウンティングが目的で作られたのではないか?と疑ってしまうレベルである。他人の家のオシャレなインテリアを見て凹み、GWの旅行の思い出を見ては凹み、そうすると羨ましいという感情に嫉妬心まで芽生え始める。闇落ちへの第一歩だ。

闇落ちまでのプロセス

こういった日々のマウントの取り合いに疲れてくると、人は自尊心を保とうと自分よりも下(だと思いこんでいる)人を見て安心するようになる。闇落ちへの第二歩目である。

例えば毎日会社へ行き、しっかりと働いている方から見れば私のように1日23時間は確実に家の中で過ごし、働いてもないくせにレモンサワーを煽っているアラサーのメスを見たらどう感じるのだろうか。

「働け!」「働かずに飲む酒はうまいか?」などなど色々と思うところがあると思う。
しかし、反対に週5日フルタイムで働き、会社での成績も優秀、さらに育児までこなしている人を見たらどうだろうか。
「あの人は○○ですごいな」、「私にはできない○○ができてすごいな」と羨望と称賛の気持ちが湧いてくるだろう。

アラサーのひきこもりニートとバリキャリの家庭も守るさん(性別は関係ないので守さんは男女どちらでも良い)がいた場合、上記のように全く違う感情が芽生えて当然である。

しかし、それが危険信号だ。人を評価するとき、相手もまた自分を評価しているのだ。
さらに言えば、この他人を評価する癖がついてしまうと物事を全て優劣で考えることになる。その矢印が外に向いている間は良いが、いったん自分に向いたが最後、悲惨なことになりかねない。

今まで他人に向けてきた情け容赦ない批評の目で自分をみることになるのだ。

とにかくいったん「なるほどな」

長くなったが、この評価する癖がついている内は「ありのままの自分」なんて愛せる訳が無い。エルサも困り顔をするだろう。

他人と比べるなというのは、他人も自分も評価するなというのが一番近いかもしれない。
野生のニートを発見しても「なるほどな、なんか事情があってのニートなのかもな。」といったん飲み込むのだ。そこには評価も批評もない。
ナショナルジオグラフィックのナレーションのごとく目に入ったものを淡々と読み上げていくような感覚が近いように思う。

ナショナルジオグラフィックではつい数秒前まで微笑ましい解説の対象だったインパラがワニに食われても「ワニは鋭い牙で獲物を加え、デスローリングで粉々にします」と出来事をそのまま受け入れている。

自己肯定感とは

他人を評価、批評しなくなると自分にも同じことができるようになる。仕事の成績が同期と比べて悪い自分に対しても「なんでこんなに自分はダメなんだ!」と人と比較するのではなく「なるほどな、今回は大変だったな」とまずいったん受け止めることができるようになる。

ここまででも十分だと思うが、もうワンステップアップ狙うのであれば「なるほどな、今回は大変だったな、そんなでも頑張った俺にカンパイ!」とレモンサワーを煽ると良いだろう。

エスパーでない限り、他人の事情を100%理解することは不可能だし、エスパー伊藤も全く理解していないはずである。
家族だろうが、恋人だろうが、どれだけさらけ出している間柄と言っても、人の心や考え方は常に変わるのでリアルタイムで追いかけることができるはずがないのだ。

よく知らん相手のことを評価しない、結局のところこれが自己肯定感というものを高めたり持ったりするのに一番有効な気がしている。

あと、みんな頑張りすぎだ。車の渋滞と同じで誰かがちょっと無駄にブレーキを踏むだけで後続車も無駄なブレーキを踏まざるをえなくなる。
車の場合は最終的に渋滞ができるので迷惑なのだが、人間社会で考えたら誰かの無駄なブレイクが原因でたくさんの人がブレイクを少しずつ取ることになり、結果的にちょっとの間みんな待機な!
という余暇が生まれるのではないだろうか。

頑張っても偉いし、頑張ってなくてももちろん偉い、あなたは世間に余暇を与える手伝いをしているのだ。

この精神を忘れずに、私は今日4時間昼寝をして仕事の進捗はイマイチだが、
もちろんレモンサワーを飲む。
なるほどな、と思っていただければありがたい。